高倉学園70年のあゆみ

 高倉学園創立70周年を記念して発行された「高倉学園70年のあゆみ」の抜粋です。1984年から1994年までの出来事が詳しく綴られています。

1984-1985(昭和59年~60年)

 昭和59年11月2日、来賓各位をお迎えして盛大に挙行された「創立60周年記念式典」で、「60年の基礎の上に一層の飛躍を期したい」と、その決意を述べられた高倉良爾校長のもとで、新たな校史を記す歩みが始まりました。

 奇しくも記念式典前日には、第2次中曽根内閣が発足、その理念に掲げる戦後政治の総決算、さらには行政改革、財政再建などの課題に取り組む体制を強化しました。教育についても占領下の教育ヲ見直し、新たな教育行政を確立するため8月に発足した首相直属の諮問機関、臨時教育審議会(臨教審)の場で、活発な論戦が交わされるようになってきました。

 そんな中で、うれしい知らせが届きました。本校の先輩である坂神初江さんが「ねむの木賞」を受賞されたのです。この賞は、美智子妃殿下(現皇后)が、作詞された「ねむの木の子守歌」の歌詞著作権を日本肢体不自由児協会にご下賜されたのを記念して設けられたもので、坂神さんは20年間にわたり心身障害児を受け持ち、訓練や生活指導するご苦労が評価されての受賞となりました。

 豊橋善意銀行から感謝状を受賞したばかりの、本校のボランティア活動は、「アフリカの人たちに食料と水を」の募金活動に協力したほか、恒例となっている師走の街頭募金、校内募金に延べ270名の生徒が参加しました。その結果、募金25万円余りが集まり、独り暮らしの老人宅や、子供たちの施設を代表が慰問にうかがいました。

 創立60周年の記念事業である東小池町のグランドの整地が始まったのは昭和60年の3月です。6月には新グラウンドが完成し、これを記念するソフトボール大会が開かれました。

 在校生が楽しみにしている修学旅行にも新しい時代がやってきました。まず実施時期を2年生の春に変えたこと、そして旅先も初めて南九州が選ばれました。画期的なのは、はじめて航空機を利用したことで、まず片道だけでしたが、生徒の満足度はかつてないほどでした。

 学業での活躍も目立ちました。合格率7.8%という難関の愛知県の保母試験に3名が合格したのです。現役の高校生はわずか3名で、そのうちの2名が本校生でした。

 なお昭和60年には女性にとっては大きな意味を持つ年でした。懸案だった「男女雇用機会均等法」が成立し、雇用の場でも男女差別が法的に禁止されるようになったのです。また、家庭科教育に関する検討会議も、高校家庭科の男女選択必修などの検討結果を報告、男女の壁が次第に低くなる傾向が強まっています。

1986-1987(昭和61年~62年)

 1986年は、国連で定めた国際平和年でした。ソ連の新指導者ゴルバチョフとアメリカ大統領レーガンは、新冷戦時代に終わりを告げるための平和外交を繰り広げ、軍縮に向けての話し合いも具体的な成果を挙げるようになってきました。

 日本国内は、数量景気に湧き、中曽根内閣の手で進む行政改革関連では、電電公社と専売公社の民営化に続いて国鉄の分割民営化が実現、売上税の導入などの論議が国民を二分して戦わされるようになりました。

 教育界でクローズアップされたのは、いじめ問題です。文部大臣からはその根絶についての談話が都道府県に通知されました。情報化社会に対応する初等中等教育のあり方、コンピュータの学校利用についての審議も進みました。

 本校でも、情報化の流れに対応して、昭和61年にはワープロ部が発足しました。翌62年には、ワープロ検定の第2級、3級の合格者を出し、日商検定に挑戦する部員も少なくありませんでした。

 軟式庭球部が9年ぶりにインターハイに出場したのも昭和61年の夏でした。本校代表のペアは広島県福山市で開かれた大会で大健闘し、校史に輝かしい記録を残したのです。

 また同年5月には生徒会が婦人団体「国際ソロプチミスト豊橋」から「青少年ボランティア賞」を受賞しました。永年学校ぐるみで展開している夏期施設慰問や年末街頭募金の活動が認められたということで、関係者は改めて社会活動の尊さをかみしめたのでした。

 さらに、ボランティア活動については、昭和62年には県知事賞も受賞、募金だけではなく施設の子供やお年寄りに対する地味な奉仕活動も評価されたのでした。秋に開かれた野依福祉村の”さわらび文化祭”、豊橋市民文化会館で開かれた身障者のためのフェスティバル”われら仲間のつどい”に介助として参加する生徒の顔にも喜びと自信があふれていました。

1988-89(昭和63年~平成元年)

 中曽根内閣を継いで発足した竹下内閣は、「ふるさと創生」を掲げ、中央省庁の地方分散、地方の振興、地域間の交流など多極分散型国土の形成を重点政策に取り上げました。その一方、税制改革に意欲的に取り組み、歴代内閣がなしえなかった間接税の導入を実現したのでした。

 教育界では、国際化の進展にともない、高校生の海外留学制度の創設、帰国子女の高校編入学の機会拡大など学校教育法の施行規則改正が行われたほか、中国に修学旅行中列車事故で多くの命を失った高知県の私立高校の一件を重く見て、文部省は修学旅行の安全確保についての通達を出しました。

 本校の修学旅行も、旧に戻り、2年続いた南九州方面から昭和63年3月、中国・北九州へ4泊5日で実施、2年生の3月実施も4年目となってほぼ定着すると同時に、見学地も絞り込まれるようになりました。

 またこの年は、ソウルでオリンピックが開かれ、スポーツへの関心がいつになく高まりました。本校のスポーツでの活躍も目覚ましく、バレー部の新人戦(春の選抜大会予選)で県大会第3位、全三河・東海総合東三予選優勝、ソフトテニスは県高校選抜大会で難関のベスト4入りと千葉県で開かれた世界ジュニア軟式庭球大会で準優勝、バレー部は県高等学校体育大会で第3位、さらに卓球部も初めて全三河選手権の高校の部制覇をなし遂げたのです。

 ボランティア活動も活発でした。草刈りなど施設のお手伝いをする夏期慰問や障害者と交流するボランティアフェスティバルへの参加者は130名近くを数え、年末の街頭募金には参加者の数も261名にのぼりました。

 昭和天皇の崩御によって元号が改まった平成元年は、後者の外装、内装工事が行われ、学園の雰囲気も一新しました。秋には創立65周年記念式典が盛大に行われ、文化行事の演劇鑑賞会では「ジャンヴァルジャン物語」に全校生徒が感動のひとちきを過ごしました。

 豊橋善意銀行により、ボランティア活動の功績によって団体表彰を受賞したのは6月のこと、軟式庭球部は念願のインターハイ、国体にダブルスで出場しました。またワープロ部、書道部などの活動も目覚ましく、検定試験合格者は、かつてない数になっているほか、全国高等学校家庭科教育振興会主催の技術検定で洋裁16名、和裁12名、食物16名が一級試験に合格、3種目すべてに合格したものも5名という快挙をなし遂げました。

1990-1991(平成2年~3年)

 天安門事件、ベルリンの壁の崩壊など、世界の情勢は混沌とする中で、日本は8月に起こったイラク軍のクエート侵攻、いわゆる湾岸戦争で国際貢献を求める声に直面することになりました。景気は旺盛な民間設備投資や個人消費に支えられて好調そのもの、岩戸景気を抜き、戦後最長の記録いざなぎ景気に迫る勢いでした。

 教育の分野でも改革が徐々に進みました。1月13日には、初めての大学入試センター試験が実施され、本校では新学期から2年生を対象に選択制授業が導入されました。生徒一人ひとりが得意分野を楽しんで学習し、将来に役立つユニークな授業をと実施に移されたもので、1学期を振り返っての反応は上々でした。

 2月に開かれた「豊橋女子高等学校長杯中学女子バレーボール大会」も市内の中学19校の参加を得て大いに盛り上がりました。この大会は昭和60年の本校創立60周年を記念して開かれたもので、すでに6回目、冬期の重要なオープン戦としてすっかり根付いた観がありました。

 卒業式を間近に控えた2月15日には卒業式を送る予餞会が開かれ、午前の部では向田邦子原作の映画「あうん」の鑑賞、午後の部では「東京ムジカクライス演奏会」に時のたつのも忘れました。

 5月2日には、創立65周年を記念してP.T.A.から贈られたモニュメントの除幕式が玄関前で行われました。岡崎産のみかげ石の部分には「和」の文字が彫り込まれ、上部は和のイメージをあらわす丸い立体のオブジェで、生徒たちに和の心を育んで欲しいという願いが込められています。

 高倉校長先生が勲四等旭日小綬章を受賞されたのは12月14日でした。先生は校長に就任以来家政科に普通科を加え、昭和43年には県下で初めての保育科を開設、幼児教育にも門戸を開き、附設幼稚園を開園しています。

 国立劇場での伝達式の後、先生は皇居で天皇陛下に拝謁、感激を新たにしていました。また、これに先だって、11月3日には豊橋市勢功労者としても表彰を受けました。

 雲仙普賢岳の爆発、湾岸戦争の勃発など不穏な情勢の中で年が改まった平成3年は、新学期から全教室が冷暖房完備になりました。よりよい教育環境のもとで学習効果をあげようというもので、すでに前年には視聴覚教室、図書室、ワープロ室、調理室、洋裁室などの特別室でも実施され、一般教室への導入が待たれていたのでした。

 夏休みになると、中学生を招待しての「一日体験入学」が開かれました。参加者は初めて開いた平成2年度を大きく上回る368名、中学生の皆さんは学校を紹介するビデオや、クッキング講座、ワープロ講座、そしてテニス、バレーの実技指導に瞳を輝かせていました。

 海外ホームステイも参加者の募集が始まりました。国際感覚と語学力の養成を目的とするもので、2年生の夏休みにニュージーランド人家庭に滞在しながら英語の研修を行うもので、夏には高倉副校長も現地視察に足を運びました。

 部活の成果も、バレー部が県選手権で準優勝、東三河で優勝、軟式庭球部は県高校新人体育大会団体、個人戦で優勝、書道部も豊橋洗心書道会、大東文化大学全国書道展に多くの入賞者を出しました。

1992-1993(平成4年~5年)

 平成4年2月、経済企画庁は前年1~3月で景気は後退に転じたと発表しました。「バブルの崩壊」が始まったのです。株式や不動産価格の下落が始まり、証券会社は軒並み赤字、銀行や保険会社もバブル崩壊の影響を受けて不振にあえぎました。

 製造業での不況も深刻になりました。大型景気のもと競いあった設備投資の反動で、需要の減退が吸収できない企業では工場閉鎖や従業員の解雇が始まり、新卒の求人も目立って減少するようになってきたのです。

 学園の春の入学式は、いつになく華やいだものでした。新入生は新しく定められたもえぎラインチェックをとり入れたカジュアルな制服姿で全員が登校しました。

 新しく就任された水谷正校長が「人にはそれぞれ長短があって犯しがたい権威を持っている。自分の特色だけをもって他を無視したり、排除したりするのは不道徳で、相互に敬愛することが望まれる」と挨拶、潤いのある環境づくりが大切と生徒に語りかけました。

 夏休みの7月25日にはニュージーランドへのホームステイに生徒が旅立ちました。美しい自然、ホストファミリーとのふれあい、そして毎日の英語の勉強、多彩なプログラムの17日間は、参加者たちに、一生心に残る思いでを刻み込んだのでした。

 ソフトテニス部は4年連続のインターハイ出場となりました。宮﨑で開かれた大会では2組のペアがそれぞれベスト64、32に入り、開校以来初めての好成績をあげました。また秋の「べにばな国体」にも参加し、ベスト8に進出する健闘ぶりでした。

 バレー部も平成4年に愛知県選手権で準優勝、平成5年1月には新人戦3位、愛知県選手権で初めて優勝するなど、部の歴史を書きかえました。

 アメリカでは11月の大統領選挙に「変革」を掲げて勝利を収めたクリントンが大統領に就任しました。その変革の波はわが国にも押し寄せ、平成5年8月には自民党政権に代わって細川連立内閣が成立したのでした。

 学内では、オアシス交通運動の徹底、さらには環境美化運動などマナーや心づかいについての運動が繰り広げられました。会釈徹底、クリーンアップウィークも6月実施され、教室やトイレなどの美化に全員が取り組みました。

 ボランティア活動も活発でした。6月の「善意フェスティバル」、そして秋には「野依福祉村文化祭」と「ちぎり寮文化祭」、さらには「さわらび文化祭」への参加、師走には恒例の街頭募金や施設・老人慰問と、生徒の思いやりの心は着実に育ってきている様子でした。

1994(平成6年)

 自民党政権に代わってわが国の政治を担うことになった細川連立内閣でしたが、期待に反してその週末はあっけなくやってきました。代わって発足した羽田内閣も連立与党内での政策合意ができず2か月で崩壊、6月には自社連立の村山内閣が発足したのです。

 国内経済は企業のリストラ政策などによって好転する兆しが見え始めましたが、為替相場が急騰するなど先行きは不透明で、北朝鮮の核開発疑惑、金日成主席の死去など国際的な波乱要因を抱えていました。

 創立70周年記念式典の会場は、「ホテル白豊」です。神野埠頭に新たに誕生したコンベンション施設「ライフポートとよはし」では、全員の出席のもとに上智大学の渡部昇一教授の講演会、そして名フィルの演奏会が開かれます。

 さらに記念事業としては、新校舎の建築が本決まりとなり、平成7年2月着工の運びとなりました。建築の総面積は1,284平方メートル、鉄筋コンクリート4階建てで、1階には東三河地区で初めての学生食堂、2階は職員室と会議室、3階にはパソコン40台の設置されるコンピュータ室、4階には多目的室もつくられます。平成7年の9月には完成し、新しい時代に向かっての態勢が整います。

 学園の周りの風景、校舎のたたずまい、さらに生徒の身なりや気質も、70年前と比べて大きく変わりました。もとより社会環境や人々の価値観も、学園創立当時とは大きく異なっています。

 しかし、いかなる時代になろうとも、社会にとって役立つ人材を養成する学園の使命は、永遠に変わることはありません。創立70年を迎えた私たちは、教育機関としての自らの原点を改めて確認し、新たに歴史をつくるため、心を合わせてまた一歩を踏み出すのです。

編集:高倉良爾
発行:学校法人高倉学園 平成6年11月1日発行
印刷:凸版印刷株式会社

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